【要約】『嫌われる勇気』| 嫌われる勇気とは一体何か?

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 アドラー心理学、ユングやフロイトと並んで称される心理学者であるアドラーが提唱した心理学、その分野は、「勇気の心理学」とも呼ばれています。

『嫌われる勇気』からの3つの学び
①  過去の「原因」ではなく今の「目的」を考える
②  「何が与えられたか」ではなく、「与えられたものをどう使うか」
③ それは誰の問題か?

①  過去の「原因」ではなく今の「目的」を考える

 『嫌われる勇気』で取り上げられている「アドラー心理学」は、過去の「原因」ではなく、今の「目的」を考える心理学です。

 少し具体的に話をすると、人は、過去の原因ばかりに目を向け、原因だけで物事を説明しようとすると、話はおのずと、「決定論」に行きつきます。
 要は、僕たちの現在、未来はすべてが過去の出来事によって決定済みであり、それ以上変えようがないモノである、ということです。
 その代表例がトラウマです。
 仮に、過去の何かしらの出来事で、今も不安を感じて外に出ることができなくなっている人がいたとしましょう。 その時アドラー心理学では、「不安だから、外に出られない」ではなく、「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」と考えます。
 つまり、「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえていると考えるのです。

 アドラー心理学においては上記の考え方を、「目的論」と呼びます。僕たちはみんな何かしらの目的に沿って生きていると考えるのが、「目的論」になります。

 それに対して、「不安だから、外に出られない」という今の行動に何かしらの原因をつける考え方を、「原因論」と呼び、アドラー心理学ではこちらを否定しています。
 なぜなら、僕たちは原因論の住人である限り、一歩も前に進めないからです。
 「○○だから、○○できない」など、自分の経験によって今の行動が決定されるのではなく、「自ら(の今の行動)を決定するのは、経験に与える意味による」という立場をアドラー心理学は取ります。

 目的論に立つことがなぜ大切かということを説明します。一言でいえば、「これからの人生をどう生きればいいかを前向きに考えられるから」とういことです。
 アドラー心理学には、「ライフスタイル」という考え方があります。
 「ライフスタイル」とは、人生における思考や行動の傾向」のことを指し、ライフスタイルは常に自分で選ぶもの、とアドラー心理学では考えられています。

 そして、アドラーは、最初にすべきことは、「今のライフスタイルをやめるという決心」だと述べています。
 なぜなら、人は、「もし何々だったら」という可能性の中に生きているうちは変わることはできないからです。
「これまでの人生に何があったとしてもこれからの人生をどう生きるかについてなんの影響もない」と考え「ライフスタイルを選びなおす」ことで、前を向くことができます。
 これを聞いて、僕は就職活動を思い浮かべました。就職活動では自己分析をします。そして自己分析に基づいて、「自分にあっていそうな企業」を選びます。これは「これまでの人生で○○のスキルを身に着けてきたから、そのスキルを活かせるこの企業にしよう」という原因論です。
 そこにおいては、「何のしがらみもなくなく○○をしたい」という目的は薄いような気がします。
だから、もし僕がもう一度就職活動をやるとすれば、「自分が本当にやりたいことは何か」「自分が本当になりたい自分はどんな自分か」という目的から考えるでしょう。転職の際にはそのように考えていきます。


②  「何が与えられたか」ではなく、「与えられたものをどう使うか」

 人にはもちろん先天的に与えられたものがあります。
 例えば、身長、生まれた土地、足の速さ、歌の上手さ、人種、などです。アドラー心理学では先天的に与えられたものが存在すること自体はは否定しません。
 ただし、アドラー心理学では、「何が与えられているかで人生を決めてしまうこと」についてははっきりを否定の立場をとっています。

 では何を肯定しているかといえば、「与えられたものをどう使うか」という考え方です。その理由はシンプルで、「何が与えられているか」に執着しても現実は変わらないからです。
 僕たちは、「与えられたもの」を交換することはできないから、「与えられたものを更新する」「目的に沿って必要なものを獲得していく」という考え方が必要なのです。

 確かに、先天的に与えられたものではなく、これから更新・獲得できるものという視点で考えると、可能性は一気に広がります。例えば、勉強の才や、運動能力、コミュニケーション能力、富、友人等、これから獲得し得るものはいくらでもあることに、本書を読んで改めて気づくことができました。


③ それは誰の問題か?

 アドラー心理学についてはもう一つ重要なポイントは、自分と他人の課題を切り離す考え方です。

 例えば、目の前に、「勉強する」という課題があるとしましょう。その時、アドラー心理学では、「これは誰の課題なのか?」という観点から考えを進めていきます。
 具体的には、子供が勉強をするか、勉強を放っておいて友達と遊びに行くの、これらは本来子供の課題であり、親の課題ではないというスタンスをとります。

 僕たちがすべきことは、「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していくことです。そして、他者の課題には踏み込むべきではない、という立場をアドラー心理学では取ります。なぜなら、あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと、または自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされるからです。その為、課題の分離ができれば対人関係は激変していきます。

 では、どうやって「誰の課題か?」を見分ければよいのでしょうか?この答えもシンプルで、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」という観点で課題を捉えることです。
 上記の子供の勉強の例でいえば、「勉強をしない」という選択をしたとき、その結末を最終的に引き受けなければならないのは、親ではなく子供です。だから、「勉強をする」という課題は、子供の問題だととらえます。

 また、この考え方は、自分を楽にしてくれます。具体的に言えば、「人に嫌われるのが怖い」という誰もが抱える悩みが楽になります。なぜなら、「嫌われたくない」と考えるのは自分の課題ですが、実際に「その人が自分を嫌うかどうか」は、最終的には他者の課題です。馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲むか飲まないかは強制できません。実際に相手が自分を嫌うかどうかまで、僕達はコントロールできないのです。もちろん、馬を水辺に連れていく、というところまでの嫌われない、というよりも好かれる努力はすべきですが、実際にその人が嫌うかどうかまで介入すべきではないのです。


 「目的論」で物事を考える、「与えられたもの」に執着するのではなく「与えられたものをどう使うか」という視点で世界を見る、他人と自分の課題を切り離す、確かに人生において重要そうなことですが、これから容易に実現できることではないとは思います。なぜなら、シンプルだけど厳しいことを言っているからです。だからこそ、本書のタイトルは『嫌われる勇気』勇気なのでしょう(アドラー心理学ではすべての問題は対人関係の問題であると考えています)。一番大切なことは本書を受けて、実際に日常の行動を変える、ということですね。

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