【要約】『動物と人間の世界認識』僕たちが見ている世界は偽物?

BOOK

 猫の見ている世界、虫の見ている世界、人間の見ている世界、これらは同じなのだろうか?違うとしたら、人間以外の動物にとって、この世界はどのように見えているのだろうか。

 その謎を解き空かしているのが本書になります。

『動物と人間の世界認識』からの3つの教訓
① 動物と人では、見えている色が違う
② 死を認識することは生を認識すること
③ 人は「ミーム」を残し続ける

① 動物と人では、見えている色が違う

人間は赤からすみれ色までの色を見ている。そして、それらの色が均等に反射されているものを、「白」と判断している

 それに対して、多くの昆虫は赤が見えない。そして多くの昆虫は、黄色から紫外線までを光として見ている。

 上記の2つから何が言えるだろうか?そう、人間と虫とでは白の構成要素が異なるのだ。

 色について私が思うことは、人間は色に新しい意味を与えている、ということだ。本来、青は、海の色・空の色だったはずだ。今でもそれには変わりはない。ただ、「信号」を生み出すことで、「青は進め」という新しい意味を与えているのだ。

 

死を認識することは生を認識すること

 本書の中にこのような言葉がある。”死というものを認識することは、今、生きている、生というものと対比させて認識することである”、と。おそらく、ある日人間は、どうやら「死」というものが存在していて、それがいずれ自分にも訪れるということを発見したらしい。それが今我々にも受け継がれている。

 ただ、本書に書かれているように、「死」の発見があったからこそ「生」という概念が生まれたのだろう。だからこそ人は、「死」までの時間を必死に活用する。「死」というものを恐れるがゆえに、「輪廻」等、概念上の世界を作り出した。

 「死」の発見は、人間に多くのものをもたらしたのだ。

 

③ 人は「ミーム」を残し続ける

“人間は他の動物と同じように自分の遺伝子を残すだけでは満足せず、自分の名とか作品とか、要するに自分の存在したことの証明を後代に残したいと願っている。」これは、「遺伝子の利己性」という理論を展開したリチャード・ドーキンスが述べたことだ。彼は、このことを、”遺伝子(gene)だけでなく、ミーム(memu)も残したい”という形で表現している。

  確かに、芸術的な作品、刺激的なミュージック、感動的なスピーチ、それらは当人の死後、当人にとっては何の意味も持たない。だがしかし、人は何かを形にして、後世に残そうとする。それはなぜだろう。

 一つは間違いなく、「その瞬間が楽しい」ということであろう。絵を描いている瞬間、音楽を奏でている瞬間等、その瞬間の楽しさが私たちを突き動かしていることは間違いない。しかし、それだけだろか?

 明確な答えを持ち合わせてはいないが、それだけではない、と考えている。例えば、ミームを残すことで安心する、こういうこともあるのではなかろうか?人はいずれ死ぬ。死んで百年ほどたてば、たいていの人は忘れられる。だがしかし、音楽が残っていればどうだろう?たとえ作者がわからなくても、確かに後の世代にそれは聞かれる。絵画であれば見られる。何かミームを残そうとするとき、人は、そんな”後世の残るかもしれない可能性”にかけて自分がいなかったかのように扱われる不安を払拭しようとしているのではなかろうか?

動物と人間の見ている世界は異なる、そんな話題から入った本書だったが、「死」や「遺伝子」等、人類の歴史にまで話を広げていた。日常的に起こっている事象に対して、「なぜ?」を唱えることが好きな人におすすめの一冊だと、私は思う。

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