武士は、武器を持ち豪快に戦う戦士という印象が強い存在ですが、そもそもどうやって生まれたのでしょうか?
最初から織田信長や明智光秀がいたわけではなく、最初に武士になった一人がいたはずです。
それは誰で、いつで、どこで、なぜ生まれたのでしょうか?
本書は、そんな「武士の起源」を解き明かした一冊になっています。
① そもそも「武士」とはどのような存在か?
② 最初の武士は誰か?いつ・どこで、そしてなぜ生まれたか?
そもそも武士と一口に言っても、その内訳は以下のようになるそうです。
☑️ 館の者共:受領の一族や従者
☑️ 侍:貴人の身辺を護衛した上級武士
☑️ 武装化した開発領主:地元の豪族(土豪)や、有力な農民(田堵)出身で、荘園の管理や運営などを行っていた人達
☑️ 武装化した在庁官人:開発領主の中で受領に従う者たち
「武士」と「侍」の違いを理解していただけたでしょうか?そこだけを切り取ると以下のようになります。
・武士:武をもって生きる者で、必ずしも仕官していない
本書によると、最初の武士は、「藤原秀郷」であるとされています。
藤原秀郷は平安時代に活躍した武人で、関東で反乱を起こした平将門を討ち取ったことで知られています。
また彼は「俵藤太」という異名も持ち、5人かかりでも引くことができない弓を引けたとも言われており、相当な剛力だったようです。
武士は、[貴姓の王臣子孫×卑姓の伝統的現地豪族×準貴姓の伝統的武人輩出氏族]の融合が、主に婚姻関係に媒介されて果たされた成果だそうです。
それ故に武士は複合的な存在といえる、これが本書の結論です。
国造の時代から何世紀もかけて形成された、古代の郡司富豪層の地方社会に対する支配的な地位と、彼らの濃厚なネットワークに、血筋だけ貴い王臣子孫が飛び込み、血統的に結合、そうして互いに不足するものを補い合いました。
互いに不足するものは以下の通りです。
・血統だけ貴い王臣子孫:地方支配の力
さらに、そこに秀郷流藤原氏は蝦夷と密着した生活から、源平両氏は伝統的な武人輩出氏族(将種)の地を女系から得て、傑出した武人の資質を獲得し、武士が誕生した、ということです。
また、「主に婚姻関係に媒介されて」という部分に関しては、朝廷が聖武朝の頃から、支配する側の国司と、される側の豪族・民を峻別する為相互の通婚を禁止してきたという背景があります。ただし、そこには、支配する側同士や、される側同士の通婚を制止するする理由はありませんでした。そこで、国司は、国司が現地人と通婚することがまずいのなら、現地人を下級国司にして通婚すればよい、と考えました。
簡単に解説すると、まず、飛鳥時代後期以降の地方社会において、富裕層の中に、武芸の才能に秀でる者たちが徐々に出現してきたことに端を発します。
ここでいう「武芸」は、「弓馬術」のことで、「弓馬術」を取得するためには、時間とお金が必要です。
よって、その担い手は百姓ではなく富裕層だとしています。
また本書では、そうした、郡司富豪層、弓馬術に秀でた層を、「有閑弓騎」と呼んでいます。
その郡司の出自は、主に大化前代からの伝統的な地方社会の支配者(地方豪族)です。
ただし、「有閑弓騎」がすぐに武士になったわけではなく、武士成立の背景には地方社会の疲弊と治安悪化があったとしています。
その要因は、地方社会における「王臣子孫」の収奪でした。
ただ、その「王臣子孫」が収奪に向かったことにも理由があり、それが、増え続ける王臣子孫をその身分に相応しく処遇できるだけの財源も官職も律令国家にはなかった、ということです。
そうして、その王臣子孫の中から、任期が終わってもそのまま地方社会に居座るものが出現し始めたのです。
となると、郡司や百姓でも富裕な階級と王臣子孫との対立が激化するが、両者ともに提携することがより効率的な収奪に繋がることに気づきました。そうして婚姻に結びついていったのです。
「武士の起源を解き明かす」、その大問題に挑んだ本書は、歴史への関心を与えてくれたような気がしています。日本史をもう一度学びたい、武士について詳しく知りたいという方は、是非一度読んでみてください。
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